北山修+橋本雅之『日本人の〈原罪〉』

日本人の〈原罪〉 (講談社現代新書)

日本人の〈原罪〉 (講談社現代新書)

 この本ねー、ちょっと継続して考えていきたいテーマな気がする。現段階では自分でまだ咀嚼できてない部分が多い。この本自体がまだ閉じてない(結論ではない)というのもある。
 事なかれ主義、村八分、過剰なまでの引責辞任うつ病等による自殺、ネットでの過剰な正義、エトセトラエトセトラ。色んな心性が、このテーマと芋づる状に絡まっているのではないかという予感。最近ネットでも話題に上がった、派遣切りされた人々と、それをとりまく心情のあたりも関連ありそう。


 「見るなの禁止」というキーワードについて、一章で北山氏が精神医学の領域から、二章で橋本氏が国文学の領域から解説。三章に、橋本氏による古事記ダイジェストがあり、四章で両者の対談となる。一、二、四章を読んでから、最後に三章を読む方がいいように思う。資料として、また両者の見解を下敷きとし、さらに自分の解釈をほどこすために。
 というのも、実は前書きに、「物語に詳しくなければまず第三章を」と案内があるんですけどね。馴染みがない人ほど、いきなり古事記の内容に触れるのはハードだよなーと思って。神多いし唐突だしエログロ多いし。そこで挫折したらもったいないので、ちょっと逆らうようなことを書いてみました。


 鶴の恩返しで機織りを覗いてしまう男、古事記のイザナキのエピソード(イザナキは、死んだ妻イザナミを追って根の国(黄泉の国)へ。「見ないで下さい」と言われたにも関わらず、イザナミの姿を見、その姿に逃げ帰ってしまう)。
 「見るなの禁止」を破った方の罪は問われず、見られた方が恥を感じ、自主的に、あるいは強制的に、舞台からフェードアウトさせられる。
 禁を破ったイザナキは「禊ぎ」を行い、その行為を「水に流す」。しかしそれは嫌悪感によるものだけではない、そこには罪悪感がある、と北山氏は指摘する。


 均衡が破られた時に、見られた/害された弱者が退場する。そういった、去り際の美学とでもいうようなものが、男女問わず、日本人のどこかに息づいており(本書内では「心の台本」と表現されている)、それが自殺の遠因となるのではないかというのが本書での推測。また、強者/多数側が、心の安定のため、それをどこかで望んでいるのかもしれない。こうして言葉にすると怖いことだけども…。
 そんな連鎖を変えていくため、「禁を破った罪、母なる存在を害した罪悪感に向き合う新たなストーリー」が、これからの日本人に必要なのではないかという指摘の書。たいへん興味深い。

cf: 日本人の原罪 - 情報考学 Passion For The Future