速水健朗『BETTER LIVING JOURNAL VOL.01』
文学フリマ(d:id:arittake:20090510:p1)で購入した、速水さん(id:gotanda6)さんの本。先週のうちに読み終わっていたのですが、自分の中で感想が形になるまでに時間がかかってしまいました。
商業媒体で書いたコラムの集合ということですが、全体に音楽関連というテーマが設定されていることで、すんなりと入っていくことができました。しかし、網羅されている知識に圧倒されるような思い。書く事でメシを食うというのは、こういうことなのですね。
全体に、商業音楽の世代による移り変わりを、2009年から定点観測したような内容が多かったでしょうか。色々な切り口があるものだなぁ、と、おもしろく読みました。80年代生まれ(女、音楽詳しくない)の自分の実感として、書かれている内容に重なりを感じる部分もあったし、逆に触れられていない部分を思いつく場面もありました。そういったことをランダムに書いてみようかと。
あと、ここ10年近く、よく訓練されたハロプロヲタをやっているので、自分の世代論とは別に、つんく(68年生まれ)プロダクトをたっぷり浴びているという属性があります。その辺を投影した話も、飛び道具として挟みます。むしろそっちの方が多いか。そこら辺は適宜読み飛ばして下さい。
連載「ニューメディア、アイドル、電電公社」 第一回「Love is the messageとスリーディグリーズは言った」
手紙、電話、メールといったメディアと恋愛とのかかわり合いについて、商業音楽から読み解いたコラム。日米の電話の普及率によるヒット曲の違い、通信自由化の結果あらわれたニューメディア。全体に物心つく前の出来事なので、そういった流れについては「なるほどー」という感じで読みました。
本文に触れられていなくて、もう一つ思い当たったのは、「留守番電話」の存在。小さい頃、うちに留守電機能つきの新しい電話が来た日は、自分にとってはかなりのインパクトでした。電話メディアにおいて、「双方向・同時性」というのは、メリットでもあり制約でもあります。そこから解放された留守電という機能は、かなり画期的なものだったのでは? しかし自分が恋愛以前の時代なので、推測の域を出ないのですが…。
昔の歌謡曲の歌詞だと、チェッカーズ『素直に I'm Sorry』なんかに出てくるようです。それでも88年だから、このテキストの扱っている時代からいうとフォーカス外か。あと思いついたのは、渡辺美里『いつかきっと』、ピチカート・ファイヴ『東京は夜の七時』(どちらも93年)。
ケータイ時代に入って受話器が廃れ、メールが主流になった00年代でも、歌詞の中の「留守電」は地味に根強く生き残っているイメージがあります。こちらもデータがあるわけでなく、ぼんやりとした推測。
ちなみにこのテキストですぐに思いついたハロプロ曲は、カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)*1『シャイニング 愛しき貴方』。オールディーズな雰囲気で結構好きな曲なのですが、こんな歌詞が出てきます。
SHINE 夜中
互いに 心
通わせ合うため
電話は進化したの
つんくはモーニング娘。『抱いて HOLD ON ME!』(98年)で"ハンドフォンメモリー"という歌詞を出し、松浦亜弥『ドッキドキ!LOVEメール』『LOVE涙色』(01年)の歌詞にメールを取り入れるなど、歌詞に新しいメディアを取り入れるのに積極的なタイプです(ちょっと失笑されるくらいに)。そんなつんくのメディア観を俯瞰するような歌詞で、個人的にはなかなか面白いと思っているのです。
また、つんくは「留守電」もわりとお気に入りのようで、歌詞の中にちょいちょいと発見できます。モーニング娘。『そうだ! We're ALIVE』『声』、ミニモニ。『ミニモニ。テレフォン!リンリンリン』、藤本美貴『会えない長い日曜日』など。
君はアクアマリンのアイランドでアイラブユー!
九〇年代の坂本龍一 〜またはGEISHA GIRLSは如何に戦いそして破れたのか〜
坂本龍一自体の足跡は詳細に知らなかったので「ほほう」という感じで読みましたが、以下の文章にはうなずけるものがありました。また、98年あたりからの"本物志向"と、その後の飽和後の揺り戻しというあたりも。
カラオケとは、プロの歌をアマチュアが真似るという二次創作的な側面を持った文化に根ざしている。二次創作の利用に特化した音楽制作が小室哲哉の特色であるとするなら、それは、匿名的な「工学的」な作曲様式と捉えることもできるのである。
上京の歌謡史
チェッカーズから、00年代の"上京しない(つまり、上昇志向をともなわない)"Jポップへ話はジャンプしていますが、その狭間に入るというか、最後の上京組がGLAYなのではないかと思ったりしました。北海道から上京して一躍メジャーに、99年には本コラムの内容にそのまんま沿うようなタイトル、『ここではない、どこかへ』というシングルもリリースしていますし。