柴田元幸さんと伊藤聡さんのトークイベント

http://www.orionshobo.com/topix/story.php?page=3&id=879
 思い立って行ってきたぞ。着席で2時間弱というボリューム。和やかで興味深いイベントでした。


 トマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』刊行にあたり、伊藤さんが進行役となって、柴田さんから翻訳の際のポイントや、ストーリー談義、海外作家さんとの交流などと話を引き出していく。
 事前に、9箇所の原文と訳文が対比されたレジュメが配られていたのですが、伊藤さんが訳文、柴田さんが原文を読み、それについて対話するというのがメインディッシュ。取り上げられているのはすべて伊藤さんチョイスだとのこと。最後に、柴田さんのお気に入りの箇所を長めに朗読(15章より)。
 刊行から約一月、会場にはすでに読破したという方がちらほら。私は未読での参加でしたので、今日サインしていただいた本をちびちびと読み進めたいと思います。時間かかるぞう、こりゃ。
 伊藤さんにも 生きる技術は名作に学べ (ソフトバンク新書) にサインいただきました。「20回読み返して!!」とのメッセージつき。はーい(素直)。


 ピンチョンというとなかなか難物そうですが、とにかく本書はユーモアたっぷりで楽しい、ということがくり返し語られていました。ディクスンがいかにいい人かとか、でも柴田さんはメイスンの方が気持ちがわかるとか。メイスンはぱっと見いやな奴っぽいんだけど、そこを読者にあまり嫌われないように訳した…なんていうのが、いいエピソードだなあと思いました。
 あとは、原文と訳文を比較しながら、柴田さんが翻訳する際の感覚的な部分を直接教えてもらうというのがもう、ね。耳がぴーんとそばだつ瞬間がたくさんありました。これは文章がないと説明しづらいので、自分のメモだけに留めましょう。


 その他、興味深かったポイント。

  • 昼間は古川日出男さんとトークイベントをしてきた。古川さんの朗読は実に熱の入ったもので、柴田さんでさえ「古川さんが訳したみたいだ」と思ったとか。
  • 18世紀後半の古文を模した原文、雰囲気をどう出すか → 普通名詞(例:テーブル)をストレートにカタカナで書かず、漢字+ルビの形とした。漢字がないものは自分で造り出した。その作業が7割くらい。
  • 2人の仕事は、南北を分ける線を引くこと。境を直線で、というのが自然の克服というか、西洋近代的な行為(例えば、日本ではほとんど川や山を境としている)。
    • 線を引くことが必ずしもいいことではなく、それによって起こる問題も出てくる。
  • 2人は人種差別なども目にしてしまい、複雑な気持ちになるが、人種差別というのも「人間に対して線を引くこと」である。そこが、自然に対して線を引く2人の仕事とパラレルな関係にある。それをどうとらえるか。
    • 「人間は本質的に線を引かずにいられないと思う」という伊藤さんの主張に対して、「うーん」と長くうなっていた柴田さんが印象的。
  • 英語→日本語訳のいいところは、一人称の「I」が色々に訳せること。日本語→英語訳のいいところは、柴田さんと親交のある翻訳家(名前失念)曰く、「リズムが出る」。
  • 日本語の文章は、従来リズムをあまり重視してこなかった。英語で小説を読む場合、それは「voice を読むこと」であり、リズムがとても大事。アメンボが脚をのばすように、点から点へ、すいっと移動する。そのテンポが作家によって違う。例えばオースターは短い、ミルハウザーは長い。
  • 「I」の訳はやはり違う意見が出ることがある。以前の作品で、編集者と意見が分かれ、なんと前半を「俺」、後半を「私」にして解決したことがあった*1
  • ディクスンは友人が使っていた「わし」にぴんときて採用したが、最初は「私」かなにかで進めていて、しっくりこなかった。「汝(Thee)」は決まっていたけど、それに対して「俺」「私」は違うかな、と。


(余談)
 進行でちょっと残念だったのは、前半と後半の真ん中に質問コーナーがあって、最後はすぐサイン会に入ってしまったこと。後半になって質問したいことが出てきたのだけど、あっという間に終わってしまって聞くことができなかったのです…。サイン会は並んでいる人がいたので、質問はちょっとはばかられたです。
 質問コーナーを2回に分けるか、やっぱりオーソドックスに最後のみか、がよかったなあ。


(これから読む自分のためのメモ)

  • ピンチョンがこの作品を書くにあたって、「昔々、こういう人がいました」で始まる、物語の構造を選んだのはなぜか。内容からの必然性? ピンチョンの他の作品と比べてはどうか? 物語構造に対する、その時代の空気は?(ポストモダン関連?)
  • 海外文学の翻訳にあたっては、カタカナの存在は必然的。本書では、擬古文的アプローチとして漢字を積極的に多用している。では、ひらがなはどんな存在?

*1:作品名を聞き逃し。この作品では前半と後半の間に原爆が落とされるので、結果的にこの方法でよかったのだ、と