『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』におけるミサトさんと加持さん、旧作との関係性のずれについて
ヱヴァ破を観に行って幾日かが経ちます。登場人物の個性の変化、関係性の変化、新キャラクター、映像美、機能美、等々、アニメーションとしての魅力てんこもりを楽しんできました。
しかし、時間が経った今、ふうっと浮かび上がってくるのは、私の場合はミサトさんと加持さんのことなのですねー。旧作とは「ずれ」が非常に明確に設定されていることに、後から後から気付くのです。
旧劇場版では、「情欲に溺れていた方が人間としてリアルだ」と言い、自分を欺いていた加持さんと、それに乗っかったミサトさん。このずれは、2人の悲しい結末を避け、あの言葉を聞くことができるフラグとなるのでしょうか…?
「もし、もう一度会える事があったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ」
(以下軽いネタバレ。もうこんな時期なのでいいかと思いますが、一応折りたたみ)
2人きりの接触
- TV版
- エレベーター内(密室)で、
- 強引にキスをする加持。
- エレベーターが止まるまでそれを受け入れるミサト。書類を取り落とす(=心理的に仕事から離れてしまう)。
- 新劇場版
- オープンエリアのテーブルで、
- 会話と視線のみで接触を試みる加持。
- つっけんどんにはねのけるミサト。ノートパソコンから手を離さない(=仕事モードのまま)。
ただし新劇場版でも、最後には加持さんからの視線にぽーっとなり、かつての気持ちを思い出すようになっています。ただしそこまでで終わり。この場面、加持さんの背景がキラキラしていたり、ミサトさんの表情がコミカルにポワワとしてたりと、あくまでギャグっぽく仕上がっていました。TV版の生々しさは全くありません。
ついでに言うと、アスカの加持さんへの恋心は、新劇場版では全く描かれません。なかったことになっているようです。それと比べると、ミサトさんと加持さんの関係が「描かれている」ということは、TV版と同じではないにせよ、何らかの発展がありそうに見えます。
2人飲み
- TV版
- 共通の友人の結婚式の三次会(リツコが帰った後)、夜景の見えるバー。
- フォーマルな服装。ミサトは肩の大きくあいたボディコンワンピにヒール。
- BGMはピアノ演奏。
- 帰りに飲み過ぎたミサトが昔別れた時の心情を吐露。それを抱き止めキスする加持。背中に手を回すミサト。
- 新劇場版
- 仕事帰り、大衆居酒屋。
- 普段の仕事着。
- BGMは昭和歌謡(ピンキーとキラーズ『恋の季節』)。
- ひたすら仕事の話ばかりするミサト。あきれる加持。
昭和歌謡や童謡が各所に意味深に使われていた今回の新劇場版ですが、ここもその一つ。"恋は〜私の恋は〜空を染めて〜燃えたよぉ〜♪"と過去形で熱唱される恋の歌。やはり2人の恋は過去のものなのでしょうか。あるいはこの歌は、TV版で情欲に燃えたあの関係を指していて、今はもう少し適切な距離感を持った大人として接することができるようになったことを俯瞰的に表しているのかもしれません。
死ぬまで私を ひとりにしないと
あの人が云った 恋の季節よ
逆説的ですね。TV版は、「死んで私をひとりにしてしまった」恋の季節でもあったわけですから。
新劇場版では、ミサトさんと加持さん、あるいはシンジとアスカも*1、互いを傷つけない距離をもった関係でいられているようです。そのドロドロしない関係性は、劇場版という時間の制約から生まれたのかもしれませんが、私にはそこから、旧作よりも救いのある未来が見えるような気がするのです。
おまけ:加持さんとリツコさん
- TV版
- 「少し痩せたかな? 悲しい恋をしてるからだ」と問う加持さん。
- 「どうして、そんなことが、わかるの?」と肯定するリツコさん。
- 新劇場版
- 「少し痩せたかな?」と問う加持さん。
- 「はずれ。プラス1500グラムよ」と否定するリツコさん。
ここでも微妙なフラグ回避。TV版では結果として、死に至るまでの辛い恋をしていたリツコさんでした。新劇場版では痩せていない、つまり悲しい恋をしていない(ゲンドウとの関係はない)、とも読める?